今日、
こんなニュースを見ました。
「興味本位で開かれているイベントで、配慮がなく、偏見と差別を招く恐れがある」
という主張でイベントの中止を求め、中止が決まったというものです。
しかし、
「誤解を招く恐れがある、だから中止しろ」と言うのは
それ自体が誤解を招きかねない曖昧な表現を用いていて、
矛盾したとても横暴な話だと思います。
「誤解を招く恐れ」という言葉・概念は極めて曖昧であり、
改善を求めたり注意を促す程度であればむしろ良いことなのですが、
この言葉によって責めたり責められたり阻止したりされたりする事は
過剰な行為であり、本当ならばあってはならない事だと思います。
「○○を招く恐れ」に慎重にならなければいけないのは確かです。
例えば、東日本大震災の津波や原子力発電所のような、災害や実被害の出ることに対するシミュレーションや備えはとても大事な事で、過剰であっても良いくらいです。
しかし、
「誤解」というものは、いくら注意していても
頻繁に発生してしまうものであり、完全に無くす事は難しく
大方は取り返しのつかないことには繋がりません。
確かに少しでも誤解する可能性があれば止めて欲しいと思うことも多々あるのでしょうが
頻繁に発生するゆえに
「誤解」というものを無くす事に重点を置いてしまう事は、
どうしても非生産的になってしまいます。
そうすると、
悪くなる可能性よりも、
良くなる可能性の方を沢山潰してしまうのではないか
と私は思うのです。
今回のニュースの場合、
いきなりイベントを中止する事でガッカリする生徒が沢山いるはずです。
ガッカリしない生徒が全くいないはずはありません。
しかし、このイベントをやった事によって大きな誤解を招く生徒が仮にいたとして、
その生徒の
誤解が何かに影響を及ぼす可能性を考えれば
もっと少ないのです。
絶対に発生するマイナス要素を無視し、誤解の恐れという曖昧な要素の為に
直前に中止を強要する事が、どれだけの生徒たちに迷惑を掛けるかという風に
考えて欲しかったものです。
要請通り中止した事で、この生徒たちは性同一性障害をもっと理解するきっかけを
無くしたことになります。
中止と言わず、まずイベントの事を調べて具体的な問題点を指摘し改善を促した上で、
「そういうイベントをするのであればもっと性同一性障害への理解を高める努力をして欲しい」と訴えていれば、少しでも理解者が増えたのかもしれません。
生徒達のガッカリも含め、とても勿体無い結果になってしまいました。
改善することはプラスに繋がりますが、
中止するだけでは何のプラスにも繋がらないのです。
そもそも
日本語には言葉のちょっとしたニュアンスの違いで
ずいぶんと意味の違ってくる言葉が多いので、誤解が起こりやすいのではないかと
思います。
そんな日本語だからこそ逆に、最近の若者世代では
多くの感情表現を、
「ヤバイ」、
「スゴイ」で済ませてしまうことが、
いわゆる若者言葉として定着してしまったのかもしれません。
ヤバイスゴイでも
ニュアンスが伝わる言い方次第で
ある程度は通じてしまうものなんですよね。
まず言葉のボキャブラリーが足りなくなったのが原因であるのでしょうが、
どうせ誤解が起こりやすいのならば、それでいいじゃないかっていう雰囲気で
出来あがった風潮なのかもしれません。
この傾向が決して良いとは言えませんが、
こういう
ラフな気持ちでいた方が、毎日が楽しく、充実した生活を
おくれるのかもしれませんね。
そういえば、
人間は誰でも、どう努力しても1%以上の人には嫌われてしまうもので、
全ての人と仲良くなれる人は居ないんだそうです。
同じ好みの人しか居ないわけがないのと同じで、
誤解なんてあって当たり前。
誤解を無くす努力は必要ですが、
あんまり恐がってたら何も出来なくなっちゃって、人生損しちゃうかもしれませんよ。